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香港で死ぬ事(2)
昨夜は、義母のお姉さん(伯母)のお葬式に出席しました。
香港で2度目のお葬式。一度目は義父の葬儀でした。

やはり、葬儀に出席すると「死」について嫌でも考えてしまいます。

香港(中国)でも宗教によって葬儀の方法が大きく異なります。
伯母の宗教は特に珍しい宗教ではありませんが、香港ではどちらかと言えば少ない方のようです。
仏教のようにお坊さんがお経をあげるのではなく、神の使いみたいな役目の人(正しくはどうゆう人なのか何という名前なのかはわかりません。)と遺族の代表が炎の周りをシンバルみたいに大きな音が出る楽器と太鼓のリズムに合わせてグルグルと回ります。
その後、その中の一人が炎の周りに祭られていた紙みたいなもの(これもきっと何か意味があるものだと思いますが誰もわからず。)に火を付け、手に持ってグルグルと激しく炎をの周りを踊りながら回り出します。
かなり激しく回り、手に持っているものも振り回すので、近くに座っている参列者に火の粉がかかります。これには、近くに座っていた義母も(後で)激怒!

これも宗教上の儀式なのだからその方法に文句をいうつもりはないけれど、どうも納得できないのが儀式を行う人たちの姿勢。(日本では葬儀屋さんにあたる人たち)
さっきまで司会進行をしていた人が通路に出て(この通路は会場から丸見え)タバコを吸ったり、携帯電話を見て他の仲間と笑顔で雑談したり・・・。
儀式を行う人の中にも、自分の出番が終わると会場の脇でタバコをフ~っと一服。
義父の時にも感じましたが、亡くなった方への冥福を祈る気持ちや式を厳粛に行う気持ちのかけらもみられないのです。
なんとも業務的というのか形だけというのか、やっつけ仕事のような感じがします。

私は葬儀中にダンナ様に言いました。
「私が死んだら、静かに送り出してね。」と。
すると、ダンナ様も「自分もそうしてほしい。」と。

伯母が亡くなったのは1ヶ月ほど前。義父の時もそうでしたが、葬儀が行われるまでの間が長い。
(これは、香港の慣習なのか葬儀場の少ない香港だから空きがないのかはわからないけれど。どちらかというと後者っぽいが。)
いくら遺体が冷蔵保存されていたとしても、1ヶ月近くも経つと生前の面影が見られない。

自分だったら、眠っているような顔で見送られたいし、自分の家族だったらきれいな顔でみんなと最後のお別れをして旅立ってほしいと思う。

自分が死んだ時には、「どうせ、もう何もわからないから。」と諦めもつくような気もしますが、
大切な家族の時には、やはりちゃんと納得が行く方法で最後のお別れと旅立ちを見送りたいと思う。

どこの国で暮らそうが、最後のお別れの悲しみに変わりはないけれど、最後の最後だからこそ後で疑問や悔いが残るようなお別れの仕方はしたくないと思う。

以前、私はこう書いています。
人はいつか死にますが、香港に骨をうずめる覚悟でいた私にとって義父の死は「香港(海外)で暮らし、香港(海外)で死ぬ」ということの意味をどれだけ理解できているのか?本当にそこまでの覚悟が私にはあるのか?という事を改めて考えるきっかけになりました。

答えはまだわかりません。
もしかしたら答えは最後まで見つからないかもしれません…。


まだまだ答えは見つかれないけれど、たった1つの願いは「穏やかに、静かに、大切な人に見守られて旅立ちたい。」という事。

ただ、自分があの世に旅立つまでには長ければあと50年ちかくはある。
死んだ時の事を心配するのも大切だけれど、とにかく今は、楽しく、明るく、一生懸命その日その日を生きて行く事が大切。
これが一番、あの世へ旅立つ時に悔いが残らない方法かもしれない・・・。
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by hachi--hk | 2005-10-13 12:54 | 日々のつぶやき


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